W 人権教育
  
1 飯塚市の沿革
 飯塚市は、明治22年4月1日町村制の施行と同時に旧徳前町、旧菰田村と合併し、飯塚町として 発足した。 その後、明治42年6月1日笠松村と合併し、その地域の拡大と町勢の進展を図ってきた。更に、 当時わが国の産業・経済の母体となった石炭産業もますます盛んになり、これに伴い人口も増加の 一途をたどり、 各官庁・学校の所在地として町勢が発展したことで、昭和7年1月20日を期して 全国で111番目の市として市制を施行した。 戦後は、一部地域の編入を行いながら、「商業」「サービス」都市としての姿を整え、昭和38年 4月1日二瀬町、幸袋町、 鎮西村の隣接3町村との合併を実現し、新生いいづかとしての一歩を 踏み出し、今日まで「学園都市」「情報産業都市」の推進と「 都市基盤」「生活基盤」の整備に努め、充実した 県央都市を確立するため、 日々努力を重ねてきた。現在、穂波町、頴田町、庄内町、筑穂町の4町と平成18年3月26日に合併することになり、 さらなる飛躍を大いに願っている。
2 飯塚市人権意識調査から(2003年9月実施)
  飯塚市人権意識調査から(2003年9月実施) 人権問題への関心については、「非常に関心がある」「多少は関心がある」を合わせても64%にとどまっている。また、人権問題の現状認識では、「あまり大切にされていないと思う」 「大切にされていないと思う」を合わせると32%、さらに「差別は重大な人権侵害である」と考える人は38%と低く、今後さらなる教育・啓発が必要である。
 人権が大切にされ、差別のない社会を構築するためには、人権教育・啓発とともに、市民一人ひとりが人権を大切にする努力も必要である。
3 市民啓発の取り組み
 飯塚市は、市民の意識の高揚を図り、同和問題をはじめとする様々な人権問題を解決するため、 国の「人権教育・啓発に関する基本計画」を受け、2003年3月に「飯塚市人権教育・啓発実施計画」を策定した。
 この実施計画は、今後の飯塚市が取り組むべき人権教育・人権啓発の具体的施策を示すもので、市民一人ひとりの人権が尊重され、 差別のないまちづくりをめざすものである。 この実施計画のうち同和問題についての内容の一部を紹介する。
(1)公民館まつり、同和問題啓発強調月間、人権週間での啓発パネル展示の取り組み
 人権問題は、普段の生活の中にあるのに、気づいていないことが多くみられる。 日常生活のいろいろな場面で自分自身のものの見方や考え方、行動をふりかえる必要がある。 飯塚市では、同和問題を始めあらゆる人権問題解決に向けて、学校、地域社会、職場などへの教育啓発に取り組んでいる。
 地域では、町内会や公民館、公民館サークルなどで研修を実施。地域の方たちと一緒に学習できるよい機会となっている。

 <公民館サークル研修参加者の声>
 ・自分の言動や態度を見直すことの参考になった。
 ・話を聞くたびに理解が深くなる。
 ・差別がなくなるまで学習は必要ですね。
 ・広く人権問題を学習したい。
(2)啓発紙の作成
 飯塚市では、市民の人権活動の一つとして、「人権いいづか」を7月と12月の年2回、「新しき明日をつくる」を1月に発行している。また、公民館報の裏面を活用し、 「人権いいづか ぬくもり」を1・3・5・8・9・11月の年6回発行している。この啓発紙を通して私たちの暮らしの中の人権について考える機会になることをねらいとしている。
【新しき明日をつくる】
【人権いいづか】 【ぬくもり】
(3)講演会等の開催
 同和問題啓発強調月間に8公民館においての講演会や部落解放研究集会を開催し、一人でも多くの市民や企業、 団体に啓発を行い、同和問題を中心に様々な人権問題をとりあげ、実施している。

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